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暇と退屈の倫理学
3−4年ほど前だったと思いますが、この本を本屋で見つけた時に、
「いったいどういうこと!?人生って必死に生きるものじゃないの?!」
と疑問に思い、題名に惹かれて思わず買ったのを覚えています。もしかしたら、手に取ったことがある方も多いと思います。
この本では歴史上の哲学者の著書などをもとに深い考察のもと、「暇や退屈」がネガティブな「意味のない時間」ではなく、人の生き方や価値観に深く関わるものだとしています。
この本を読んで、忙しい日々や退屈に対する新たな発見があり、時間の意味や生きる目的について考えなおすきっかけになりました。また、今の私自身のがん診療をするうえで参考にしている本の一つです。
内容は哲学的ですが、わかりやすく書いてある点も魅力的です。
私はこの本に出会ってから、「人生が暇つぶし」という言葉の意味を自分なりに考えてきました。
私は、医師として膵臓がんなどのがん患者さんの診療を日々行っています。患者さんとの関わりを通じて感じる、今現在の私の「人生は暇つぶし」の言葉の解釈について記事にすることにしました。
*本来の著書の文脈や論調とは異なり、あくまで持論です。ご了承ください。
人生は必死に生きるべきものとは限らない
「一度きりの人生、悔いのないように生きるべき」という言葉をよく目にします。おそらく多くの人がそう思っているでしょうし、私も無意識のうちに「人生は必死に生きるものだ」という固定観念がありました。
ただ、この考えは私にとってはあまりプラスに働きませんでした。むしろ、「寝る間も惜しんで仕事をするべき」「失敗はしてはいけない」「100%の結果が出せなければ意味がない」というような、”べき論”に囚われ、何をやっても中途半端で、自分のやることなすこと全てに自身が持てない、と感じる時期がありました。
しかし、最近では医師として日常的にがん患者さんと関わるうち、「必死に生きる」のが全てではないと考えるようになりました。患者さんたちはむしろ、自分自身であるために「あるがままに生きよう」としているように私は感じます。
がん診療を通じて感じること
がん患者さんは、病名を告げられた時から最期の時まで、自分が自分であるために、それぞれの人生を生きようとしているように見えます。私自身は、がんの経験はありませんが、患者さんの姿を通して、「必死」というより、「自分自身、あるがままに生きようとする」と言うほうが正しいかもしれない、と考えるようになりました。
人生で唯一決まっていることは、全ての人が「最後の瞬間を迎える」ことだけです。それまでの時間を、どう使うかは自分次第であり、他人が決めることではありません。がん患者さんは、いつ訪れるか分からない、ご自身の「最期」に向けて、告知を受けた瞬間から生きていくことになります。
人生における暇つぶし=全てを受け入れて生きること
もちろん、うまくいかないことや後悔、辛い経験も多いでしょう。周りからの余計なアドバイスに悩まされることあるかもしれません。
しかし、こうした全ての体験や自身の選択を自分自身として受け入れ、前に進むしかありません。彼らは「全てを受け入れて人生を全うしようとしている」ように私の目には映ります。
「暇つぶし」という言葉は本来はネガティブに捉えられがちですが、ここでは「その人自身が自分自身であるために、最期の瞬間までの時間を過ごすこと」という意味だと考えるようになりました。
暇つぶしという言葉が持つ優しさ
このように、私は最近では「人生は暇つぶし」という言葉を、「結果を出すべき」とかそういう強迫観念的なものというより、「あるがままの自分を受け入れ」ていいんだというように、普段の診療を通じて考えるようになりました。
ただ、「暇つぶし」という言葉の通りに、無意味に時間を過ごすわけではいけません。
「頑張っても報われない」「結果が出せない」こう言った時に、自分自身のあるがままを受け入れてくれて前向きになれるような、そんな優しい言葉でもあると最近では感じています。
全速力では息切れをする
人間生まれたときから、最期を迎えるまでの時間を生きています。
短いようで長いその時間を、全速力で走り続けていては息切れしてしまいます。だからこそ、自分のペースで、自分らしく生きることが大切です。
人生をどう生きるか迷うとき、この本がきっと新たな視点を与えてくれると思います。
まだ読んだことがないという方は、ぜひ手に取ってみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
おわり
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