最近ではAIの発達が目覚ましく、AIは日常的に使用するツールとなりました。
Chat GPTの登場から数年で「便利なツール」から「当たり前の存在」へと変わりつつあります。 私自身も特に学会の準備や論文作成の前の参考文献集め、英語勉強などの際、AIを活用していますし、その恩恵は確かに感じています。この記事のアイキャッチ画像も、AIで生成しましたし。
働き改革の波もあり、医療業界ではより一層、効率が求められるようになり、労働時間を短縮しようという流れが大きくなっています。
しかし一方で、効率と正確性が重視されるこの時代、逆に「不正確さ」や「曖昧さ」が人間の強みになっているのではないか、と最近感じるようになってきました。
近年の西洋医学の発達は目覚ましいものがありますが、それでも忘れてはいけないものは、「医療の本質」にあると思います。
その本質について、私自身が研修医時代から感じていた、「医師とはどうあるべきか」ということに絡めて少し考えてみました。あるあるの内容ですが最後まで流し読みしていってください。
医療の本質は「癒療」
医療という言葉は、もともと「癒療」と書かれていた時代があります。(とどこかで聞きました) そもそも、医療の発端は祈祷師やシャーマンによる「祈り」だったようです。
そこから考えれば、医療の本質というのは、単なる病気を身体的に治すのではなくて、人の不安や精神的苦痛を癒すことなのだと思います。
現代の病院でわたしたちは、検査データや画像所見をもとに診断し、エビデンスに基づいた治療を行います。それによって患者さんの苦痛を取り除き、生活をより良くすることはできるかもしれません。
しかし、データだけでは見えないものもあります。
患者さんが抱える不安、家族の心配、治療に対する迷いなどです。これらは数値化できませんし、カルテには載っていません。そして、こうした「数値化できないもの」に寄り添うことこそが、医療の根幹をなす部分ではないかと感じています。
「曖昧さ」が許される関係性
誤解のないように言っておくと、大前提として、患者さんに害を及ぼすようなミスは絶対に許されません。
ただ、コミュニケーションにおける「曖昧さ」はそれとはまた別のものだと思います。
例えば、治療方針を説明するときに教科書通り(医療用語でガイドラインに沿った、理論的には、という意味)の説明をすれば、それはそれでいいのかもしれません。 しかし、医学の進歩は目覚ましく、昨日まで正しいと考えられていたことでも、急に明日からは間違いになることだってあります。
実際の臨床現場は、もっと複雑です。
「これは正しい治療です」「この治療がベストです」と断言しても、それだけでは患者さんの心には届かないことがよくあります。特に、がん診療においてはそれは必ずと言っていいほど当てはまります。
そしてさらに言うと、医学的に正しい判断だったとしても、私たちですら常に 「本当にこの治療がこの患者さんにとっていいのかどうか?」 と悩むことが多々あります。
そういった時には、
「正直なところ、どちらの治療法にもメリット・デメリットがあります。私からは医学的な推奨として選択肢を順位づけして提供できますが、最終的には患者さんやご家族みなさんと話し合って決めないといけないと思います。」
こういう風に正直に伝えることで、患者さんやその家族との距離が縮まると感じることがあります。(と私が感じているだけかもしれませんが)
医師が悩んでいる姿を見せることに抵抗を感じる方もいるかもしれません。
でも私は、「一緒に考えましょう」というスタンスの方が、結果的に良い治療につながることが多いと感じていますし、そのくらいが一番心地いいです。
話し合いを重ねることの意味
治療方針を決めるとき、一回の説明で全てが決まることは稀です。
特にがん診療の現場では、病名告知や治療方針の説明を診察室で行います。そのあと、患者さんは説明の内容を、家に帰って考え、家族と相談し、また疑問が浮かんでくる。次の外来でその疑問を聞いて、私が答えます。
このプロセスの中で、私の中でもまた新しい選択肢が生まれることもあります。
この話し合いの繰り返しが、実は大切なのです。
とっても時間がかかるので、効率的ではないですし、正直言ってこれをやっていると他の人よりも帰るのが遅くなります。人によっては「あいつ効率悪い働き方をしてるよな」と思われるかもしれません。
ただ、このプロセスを経ることで、患者さんも医師も「同じ方向を向いている」という感覚が生まれます(と勝手に私が思っているだけかもしれません)。
治療がうまくいかなかったとき、この感覚があるかないかで、患者さんの受け止め方は大きく違います。 患者さんが「先生と一緒に決めたことだから」と思えるか、「あの先生が言ったからやったのに」と思うか、その差は想像以上に大きいです。
AIにできること、できないこと
AIは膨大な医学論文を読み、最適な治療法を提案することができます。 以前、AIの医学知識のレベルについて記事にしましたが、少なくとも研修医以上の知識は備えていると言っても過言ではありません。そして、今後もますますその精度は向上していくと思います。
しかし、AIにはできないこともあります。 それは「患者さんと一緒に悩む」ことです。
患者さんの顔を見て話して、言葉の裏にある感情を察して、一緒に悩むこと。答えが出ないまま沈黙の時間が流れることもあります。「大丈夫ですよ」と言いながら、医師自身も心の中では不安を抱えていることもあります。
こうした状況で、医療者と患者側とがそれぞれ考え、歩み寄ることで成り立つ、コミュニケーションの根底にある「不完全さ」が、人間同士の信頼関係を成り立たせているのではないでしょうか。
完璧な回答より、一緒に悩んでくれる存在。それを求めている患者さんは多いと感じます。
効率化の先にあるもの
AIの普及によって効率化できる部分は積極的に効率化すべきだと思っています。
カルテ記載、各種診断書・介護保険主治医意見書、多くの紹介状・サマリ作成、文献検索といった作業がAIで短縮できれば、その分、患者さんと向き合う時間が増えます。
つまり、AIは「人と人とのコミュニケーション」の時間を作り出すツールにもなり得るのです。
AIや働き方改革で謳われる「効率化」というのはあくまで手段であって、医療そのものの目的ではありません。効率化の先に、こうしたより深い人間同士の関わりがあるべきだと思います。
不完全でいい
最終的に、自分の中で一つの結論は揺るぎないものになった気がします。それは、「医師として完璧である必要はない」、ということです。
もちろん、患者さんの治療のために、医学知識をアップデートし続けなければいけませんし、患者さんに害を与えないよう、漫然とした治療や危険に対し、常に注意を払う必要があります。
ただ、「完璧な回答を出すことだけ」が医師の役割ではないと思うようになりました。
患者さんと一緒に悩み、一緒に考え、なるべく同じ方向を向いて歩んでいく。その過程で生まれる信頼関係こそが、医療の本質であり、私がなろうとしている医師像そのものだからです。
日々の診療で忙殺されると、つい効率を優先してしまいがちです。でも時々立ち止まって、「医療とは何か」を考える時間も必要だなと感じています。
AIが得意なことはAIに任せる。そして人間にしかできないこと、つまり「不完全さ」を共有しながら患者さんに寄り添うことに、より多くの時間を使う。
この考えが、AI時代における医師のあり方や医療改革の中で最も重要な考え方の一つではないかと考えています。


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